先日見たドラマのひとことをきっかけに、
昔の自分が抱えていた気持ちについて書いてみようと思います。
ドラマの中に、こんなセリフがありました。
「消えたいと思っているんです。」
「死にたいということですか?」
相手が聞くと、その人はこう答えます。
「そのままの意味です。そういう気持ちも、もうなくて。」
そして、こう続くのです。
「私はもう人じゃなくて、モノみたいなものだから」
その言葉を聞いたとき、私は少しだけ息を止めました。
ああ、そういうことなのかもしれない、と思ったからです。
私は、「消えてしまいたいな」と思っていたことがありました。
でもそれは、「死にたい」という気持ちとは、
少し違っていた気がします。
命を終わらせたいわけではない。
けれど、今ここにいる自分が、
いったん水蒸気のように蒸発してしまえばいいのに。
そんな感覚に近かったのだと思います。
今日は、その「消えてしまいたい」という気持ちが、
私にとって何だったのかを、
少しだけ考えてみたいと思います。
「死にたい」とは違う気がしていた
あの頃の私は、自分でもその気持ちの
正体がよくわかりませんでした。
苦しいのは確かなのに、
「死にたい」と言い切るのもしっくりこない。
かといって、「元気がないだけ」と片づけるには、
もう少し深いところがざわついている。
そんな、宙ぶらりんな感覚でした。
でも、その「何か」がひとつに絞れるわけでもありませんでした。
人との関わりの中で、自分の気持ちをうまく整理できなかったこと。
ちゃんとしなければ、期待に応えなければ、と思いすぎていたこと。
本当は疲れているのに、それを自分でも認められなかったこと。
そういう小さなことが少しずつ積み重なって、
いつの間にか、自分自身がぼやけていたのかもしれません。
「人」として扱われていないような感覚
ドラマの中の「私はもう人じゃなくて、モノみたいなものだから」
という言葉を聞いたとき、
私はドキリとしたのです。
それはたぶん、ひとりの人間として扱われていない感覚。
あるいは、自分自身でも、
自分を人間として大切にできなくなっている感覚です。
疲れること。
傷つくこと。
嫌だと思うこと。
本当は助けてほしいと思っていること。
そういうものを、ちゃんと「あるもの」として扱ってもらえないと、
人は少しずつ、自分の気持ちがわからなくなっていくのかもしれません。
もちろん、何かひどい出来事があったとか、
わかりやすい理由があったわけではないこともあります。
ただ、日々の中で自分の気持ちを後回しにし続けていると、
「私は何を感じているんだろう」
「本当はどうしたかったんだろう」
ということが、少しずつわからなくなっていきます。
そしてその先に、
「消えたい」という気持ちがあったのかもしれない。
今は、そんなふうに思います。

消えてしまいたかったのは、自分そのものではなくて
今振り返ると、あのとき私が消したかったのは、
自分そのものではなくて、
自分の中に溜まっていた苦しさや、居心地の悪さや、
うまく生きられない感じだったのかもしれません。
ちゃんとできない自分。
疲れているのに平気なふりをする自分。
嫌だと思っているのに、その場から離れられない自分。
誰かにわかってほしい気持ちと、でもうまく言葉にできない気持ち。
そういうものを全部まとめて、なかったことにしてしまいたかった。
だから「死にたい」ではなく、
「消えてしまいたい」だったのかもしれません。
存在を終わらせたいというより、
つらさやしがらみから、自分を解放してしまいたい。
そんな願いに近かったような気がします。
今は、少し違うかな
今の私は、なぜかあの頃のように
「消えてしまいたい」という感情は湧いてきません。
もちろん、落ち込む日もあります。
人とうまくいかなくて、気持ちが沈む日もあります。
でも、自分の疲れや違和感に、
前より少しだけ気づけるようになった気がします。
嫌なものを嫌だと思っていいこと。
離れたほうがいい場所からは離れていいこと。
うまくできない日があっても、
それで人としての価値がなくなるわけではないこと。
そんな当たり前のことを、少しずつ覚え直してきたのかもしれません。
私は、自分のことを強い人間だとは思いません。
でも、弱ったときにどうすれば少し楽になれるか、
何から距離を取ったほうがいいか、
そういうことは、前よりわかるようになってきました。
それはたぶん、昔の自分が感じていたことを、
なかったことにしないで見つめてきたからなのだと思います。
おわりに
「消えてしまいたい」という言葉は、
少し強くて、少し怖い響きがあります。
だから、こうして書くのも少し勇気がいりました。
でも、あの気持ちはたしかに私の中にあったもので、
今の私をつくっている時間のひとつでもあるのだと思います。
あの頃の私は、きっと「もう少し静かに休みたい」と思っていたのかもしれません。
「ちゃんと人として扱ってほしい」と思っていたのかもしれません。
あるいは、自分で自分を、もう少し大切にしたかったのかもしれません。
そう思うと、「消えてしまいたい」気持ちは、
自分を壊したい気持ちというより、
これ以上壊れないための、
私自身からのサインでもあったのかなと思います。
今はもう、その頃と同じ場所にはいません。
それでも、あの感覚があったことは忘れずにいたいです。
忘れないでいることが、
これからの自分を少しやさしく扱うことにつながる気がするからです。
今なら、あの頃の自分に、温かい飲み物を淹れて、
ただ隣に座っていてあげたいと思います。
あの日の私も、今日の私も、同じように大切なのだから。


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