映画『64-ロクヨン-』─終わらないものについて

好日録

64 ロクヨン 前編
2016年製作/121分/G/日本
配給:東宝
劇場公開日:2016年5月7日

64 ロクヨン 後編
2016年製作/119分/G/日本
配給:東宝
劇場公開日:2016年6月11日

『64-ロクヨン-』は前編・後編合わせると約4時間。なかなか長い映画です。

観る前は、「ちゃんと最後まで集中できるかな」と少し思っていました。
でも実際に観始めると、不思議と長さはあまり気になりませんでした。
むしろ、ゆっくりと少しずつ何かが積み重なっていくような感覚でした。

最初に印象に残ったのは、昭和の街並みでした。
再現された風景や空気感がとても自然で、作られたものという感じがしません。
色合いや建物だけではなく、人の話し方や空気まで含めて「昭和」がそこにありました。

BGMも決して多くなく、派手な演出も少ない。
でも、だからこそ落ち着かないのです。
何かが起こりそうな気配だけがずっと続いていて、静かなのに緊張感がある。
大きな音で驚かせる映画ではなくて、少しずつ息苦しさが近づいてくるような映画でした。

物語の中心にあるのは、昭和64年に起きた少女誘拐事件です。
でも観終わったあとに感じたのは、
「これは事件そのものを描いた映画だったのかな」ということでした。

警察組織の内部対立。
報道との駆け引き。
親子の断絶。
立場によって変わる正義。

それぞれが自分の役割や事情を抱えながら動いています。
誰か一人が完全に悪いわけでもなく、誰か一人が正しいわけでもない。
だから余計に苦しくなるのかもしれません。

この映画の中では、みんな何かを伝えようとしているのに、どこか少しずつすれ違っています。

親子も。
警察同士も。
被害者家族も。
そして事件そのものも。

近くにいるはずなのに、届かない。
そんな距離を感じました。

観ている途中で、私は「犯人は誰なんだろう」よりも、
「どうしてこんなに人は分かり合えなくなるんだろう」ということを考えていました。
そして、この映画でいちばん印象に残ったのは終わり方でした。
すべてが解決して、「良かったね」で終わる映画ではありません。

もちろん事件は動きます。
真実も見えてきます。
でも、全部が綺麗に片づくわけではないのです。
観終わったあとも、少し重たいものが残ります。

でも、人生って案外そういうものなのかもしれません。
何もかも綺麗に終わることの方が少なくて、
何かを抱えたまま前に進むことの方が多い気がします。

終わったはずなのに、完全には終わっていない。
そんな感覚が、映画のあともしばらく残りました。
重い映画でした。

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